若き日の仙人の話です    

 仙人はかつて”プロ空手”という武闘家集団に所属していました。今でいうと”K-1”のような興行をしていたところです。空前の空手ブームの中、昭和48年に大塚剛氏が創設した“プロ空手”は、テレビでも放映されていましから、ご存じの方もいらっしゃると思います。試合終了後は負けたほうが、必ず担架で運ばれるという感じの過激なところが人気でした。仙人は「隼源史」というリングネームで出場していたのです。骨折は数十回しました。特に左腕を複雑骨折した際は、30cmの鉄棒を埋め込み、今でもそのままになっています。

 武闘家時代の仙人は、なかなかの達人だったのですよ。1981年には「プロスポーツ新人賞」というものをもらってます。その少し前には、島倉千代子さんと大阪コマ劇場で一ヶ月間共演もしているのですよ。アクションスターの千葉真一氏からも「ヌンチャクを教えて欲しい」と”弟子入り”を申し込まれたこともありました。

 放浪生活が長かったので、当時の写真や資料などはだいぶなくしてしまいましたが、残っているものを公開しますので見てやってください。

仙人 

放浪生活の合間に、イベントで生計を立てていた時代もありました こちらも、イベントのチラシ。仙人はヌンチャクの達人ですが当時は「竜爪術」もやってました

福岡市でRKBテレビの取材を受ける仙人。当時33歳

  

「日本プロスポーツ会議」の会長をやっていた中曽根康弘国務大臣(翌年から首相)からもらった新人賞の賞状

プロ空手の入場券。メインイベントで出場していた時代です

 
こちらは里山に入ってからの写真です。CBCテレビの取材を受けたときのワンカット。レポートターの頭の上に置かれた花を、ヌンチャクで今まさに打ち落とそうとしているところです。レポートターは仙人を信頼していないのか、かなり怖がっておりました
 
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