<仙人のプロフィール>

俗姓 隼源史

同 38年  結婚。後に子供2人を授かる
同 54年  離婚
同 55年  大塚剛氏率いる「プロ空手」に入団。すぐに「プロ空手」デビュー
同 56年 大阪の梅田コマ劇場で行われた「島倉千代子ショー」で、島倉さんの相手役として一ヶ月間公演
同 58年頃  「プロ空手」が解散。以後、ヌンチャクアクションショーで全国を行脚しながら、修行をはじめる
平成6年4月  現在の里山に入山。本格的な仙人生活を始め「円明流ヌンチャク道」を確立。現在に至る

*マスコミ登場歴

・「フライデー」(講談社)*(平成9年4月11日号記事)
・「たけし・さんまの世紀末偉人伝」(日本テレビ)
・「投稿!特ホウ王国」(日本テレビ)
・「BE-PAL」(小学館)*(平成21年7月号記事)

など、たくさんあります。

 若いころは、武闘家にあこがれて、「プロ空手」という今でいう「K−1」のような組織で武闘家をやっていました。当時は苦しい事も多かったですが、華やかな生活だったと思います。この頃、1981年ですが「プロスポーツ新人賞」という賞を、時の内閣総理大臣、中曽根康弘氏から授与されています。
 「プロ空手」が解散した後も、「武道を極めたい」という思いが強かったので修行のために放浪生活をはじめました。20数年も前の事です。放浪中は食べるためにいろいろな仕事もしました。イベントなどもやりましたがトラックの運転手とか肉体労働が多かったです。
 野宿したり、廃車に寝たりしました。初めは、九州・福岡でしたね。不法侵入ですから、見つかると、どこでも追い出されていました。少なからず脚光をあびる仕事から、その日暮らしの生活をしてみてはじめて、世の中の嫌なところが見えてくるようになりました。ようやく知人の紹介で1994年、この山に住みつく事ができました。
 この里山に居を構えてから、さらに修行を積みました。日が落ちた後に飛ぶコウモリなどは、ヌンチャクで一撃で落とせますし、頭の上に置いた大豆も打ち払えます。もちろん、人の頭など叩きませんぞ(笑)。鎌ヌンチャクも得意でして、かつては千葉真一氏から弟子入りの依頼があったほどです。
 この15年山で磨いた武道の技はおそらく、下界の誰にも負けないと思っております。こういうのもなんですが、居合い打ちは世界最高でしょう。

 「仙人の道」を目指す御仁、「武道」を極めたい御仁がいらしたら、是非、一緒に修行をしようではありませんか。気軽にご連絡くだされ!

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